2014年6月15日日曜日

教養は「何のため」か

 前回、 教養に関する3つの疑問 ①「なぜ学ぶ必要があるのか」、②「どうやって身につければよいのか」、③「そもそも教養とは何か」のうち、③について、教養とは「『人間性』や『人格』と結びついた知識である」ということを述べた。

 本稿では①「なぜ教養学ぶ必要があるのか」について、「ビジネスマンにとっての意義」という切り口で考察してみたい。


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2014年6月4日水曜日

「教養とは何か」について考えてみる


(出典)GATAG
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 「教養を身につけた方がいい」と言われたことはないだろうか。決して注意喚起という意味ではなくても、「教養の重要性」を語る声は、大学時代の学部の先生や会社の上司、NHKや書店の平積みの本の中から日常的に聞こえてくる(少なくとも筆者の周りでは)。

 ありふれたメッセージであるにもかかわらず、教養の習得をリコメンドされたときに、「よし、明日から教養を身につけよう!」と昂揚する人は希有である。おっしゃる意味がよくわからないからだ。

 一般的に、脈絡なく「教養を身につけろ」と言われた場合、意識・無意識は別として次の3つの疑問が生じる。「なぜ?」「どうやって?」「そもそも教養って何?」。。


教養とは何か


 「そもそも教養って何?」という疑問は特に重要である上、難しい。「教養」という言葉自体、「愛」とか「幸せ」と同じようにあまりに漠然としている。具体化するために質問を少しずらして「『教養のある人』とはどんな人か?」について考えてみる。


教養のある人とはどんな人か

 やや主観的ではあるが、例えば普通の会社のサラリーマンでいながら、能や茶道に精通していたり、ローマ帝国の五賢帝をそらで言えたり、休日にアリストテレスの『ニコマコス倫理学』を読んでいるような「幅広い知識」を持った人は「教養のある」人と認識される可能性が高い。

 しかし、日本語の権威である広辞苑によると「幅広い知識」だけでは足りないらしい。