2014年2月22日土曜日

C世代としての私のこだわり「anti-"Connected"」 #ブロガソン

 以前、「C世代」が動き出す 〜“デジタルネイティブ”がリードする社会へ〜 という記事を書いた。その時は、自分のクリエイティビティを活かして起業した15歳の椎木里佳さんの活動を紹介した。本稿では「自分は「C世代」なのか」ということについて言及してみたい。

一度、「C世代」について復習してみる。


  • Connected(常にみんなとつながっている)
  • Community(共同体を形成する)
  • Change(変化・新しいものを好む)
  • Create(創造性がある)
  • Communication(会話好きな)
  • Collaboration(みんなと協力する)
  • Contribute(貢献意欲の高い)
  • Casual(四角ばらない)
  • Cameleons(自分のキャラを変化させる) 等

 上記の中で、自分が持っている性質を自問自答してみると、

Change:変化・新しいものが大好きだ。同じジュースは2度と買わない。
Contribute:一応社会のために役立ちたいと思っている。ボランティアもしたし。
Community:仲間を作って何かをしている。このブロガソンもしかり。
Cameleons:自分のキャラが人によって違う気がする。友人より、多重人格という説も。

 加えて、このブログのように何か記事を書いて、自分と関わりのない人に対して情報発信を行っている(およびそれが楽しいと感じる)ことからも、おそらく自分は「C世代」なのだろう。

 しかし、筆者自身が「C世代」であると言い切るのに一瞬躊躇したのは、C世代が持つ最も代表的な性質を有していないからだ。それは


Connected(常にみんなとつながっている)

である。筆者は「C世代」に片足を突っ込みながらも、Connectedは極力抑えている。Facebookのホーム画面は3ヶ月に1回しか開かないし、TwitterもLINEもやらない。したがって、昔の友人の近況等を知るのは同窓会の時だけだ。そこにこだわる理由は以下の通りだ。

①自分の頭で考える人であれ

 SNSをやらない端的な理由は、「時間が無駄だから」、と言ったらやや即物的かもしれない。しかし、以前Facebookに入りたての頃の経験に基づくと、自身の投稿や友達とのやりとりにかなりの時間を消費していた。

 筆者の仕事はクライアントから時間単位でかなりの(例えば、バイトとは比較にならない程の)お金を貰っている。その感覚をプライベートな時間に対しても延長するべきだと考えている。

 Facebookに投じる時間があったら、少しでも多くの本を読みたいし、自分の考えをノートに書き起こしたいのである。

私は大前研一氏の言った以下の言葉を意識しない日はない。

「今の時代はみんな自分の頭を使って物事を考えることをしなくなっている。これはチャンスだ。自分の頭で考えれば誰でも成功できる時代と言うことだから。」

②内省的な人であれ

 筆者はSNSはやらないが、ノートに日記(のようなもの)を書くことを大学時代から続けている。SNSのように、誰かのために書いた文章と、完全に自分のために書いた文章は自分への効果が全く異なると考えている。

 例えばmixi上で日記を書く場合は、「読者(友達)に自分をこう見せたい」という作用が必ず働く。というより、それがmixiで日記を書く目的の一つでもあるからだ。

 しかし、誰にも見せることのない、自分のノートに日記を書く作業の中に「他人(友達)」は存在しない。自分一人のために書く日記はいわば「精神安定剤」としての重要な効果を持つ。

 何か辛いことがあって悶々と悩むことが誰にでもある。おそらく他の人より多い頻度で、筆者にもある。何度も何度も同じネガティブな考えが繰り返されるのだ。

 しかし、そのときに自分が感じていることを紙面上に書き起こすとどうなるか。まるでタバコで一服するように心が静まるのだ。文字という媒体におこした自分の心中を、「別の人」の目線で見ることができることがその理由だろう。

 繰り返しになるが、自分のための日記は「精神安定剤」である。その効果はmixiやFacebookとは比較にならない。断言してもいい。

③孤独な人であれ

 齋藤孝は著書「孤独の力」の中で、「一流の才能を持つ人は必ず孤独である」と述べている。言い換えると、ひとりの時間に考え続けられるかが才能の証でもある。加えて、そもそも「人としての強さ」は、単独者になれるかどうかに尽きるとも。

 青年期、とりわけ十代、二十代に本物の力をつけておかないと、烏合の衆で終わる。では本物の力とは何か。それは自分で脳みそを真っ赤に燃え上がらせるほど考えた経験をすることだと齋藤氏は強調する。私自身も深く同意する。20代の後半戦に突入した今、以下に自分自身と格闘するかがその後の明暗を分ける、そう思うのだ。









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