(出典)東京電力
「福島第一原発観光地化計画」という言葉をご存知だろうか。
あの禍々しい事故から3年、東京電力が未だ後処理の目処すら立たない中、「福島第一原発を観光地にしよう」という動きをしている人たちがいる。
著名な思想家・作家・評論家の東浩紀氏らは、数年前から水面下で構想を組み立てている。
福島第一原発観光地化計画 Facebookページ
https://www.facebook.com/fukuichikankoproject
「事故現場を見せ物にするな」と思うかもしれない。また、「観光地にするまでもなく、あの事故を忘れることなどあるものか」と言う人もいるだろう。
しかし、当事者でなければ、どんな歴史的事故でも一定期間経てば記憶から消去されてしまう。実際、1986年に福島と同じ歴史的原発事故が発生したチェルノブイリでも、約30年経過した今、多くのロシア人とウクライナ人の記憶から徐々に薄れつつあるようだ。
チェルノブイリの「今」
その現象に歯止めをかけるため、チェルノブイリ市が3、4年前から始めたのは原発周辺地域の観光地化である。チェルノブイリ原発から30キロメートルを目安とした地域は、「ゾーン」と呼ばれる立入禁止区域に設定されており、許可無く立ち入ることはできないし、住むことも許されていない。
しかしだからといって、まったくの無人地帯が広がっているのかというと、そんなことはない。そこには役所があり、研究所があり、食堂もあればバスターミナルもある。そして人々が働いている。
考えてみれば当たり前だが、原発事故が起きたからといって、周辺のすべての土地が打ち捨てられ、廃墟になるわけではない。事故処理のために人は必要だし、労働者を支えるために街の機能も一部は残る。
つまり、チェルノブイリ市がいまも多くの人の生活の場となっているということ。
チェルノブイリツアー
原発そのものは直接目にすることはできないが、かつて全てを失い、そこから(完全復帰はしてないが)もう一度立ち上がった街の生活と、そこで働く人々を、チェルノブイリ市はツアーという形でオープンにしている。そこでは、原発に対して反対の人、賛成の人、放射能でダメージを受けた人、そうでない人など、様々な年代の案内人たちが観光客を思い思いの場所に連れて行ってくれる。
観光は何のためか
さて、ここで思うのは、本当に「“ツアー”という形で、ここまで“体験型”にしなくてはいけないのだろうか」ということである。もしこれが仮想現実で完全に体験可能になっていたらどうか。自宅にいながらにして、チェルノブイリをめぐることができる。そして画面上で、いま労働者はこういう生活をしているのか。事故の傷痕はこう残っているのかとわかる。実際、いまだって事故現場である四号機の写真はネットにいくらでも転がっている。
チェルノブイリ博物館もネットで内部が見学できる。現地に行っても写真と同じ構図が見えるだけであり、それで十分なように思うかもしれない。
しかしやはり違う、と東浩紀氏は言う。少し長いが引用しよう。
仮想現実の場合、そこで「よし勉強になった」とブラウザを閉じることができる。そこで思考が止まってしまう。裏返せば、なにか新しいことについて考える時間は身体を拘束することでしか生み出せない。そして、“そこ”で「考える」ことこそ、もっとも本質的なのだ。
思うに、おそらく旅の意味はここにある、自分の身体を一定時間非日常のなかに拘束しておくこと。これこそが旅の目的であり、別に目的地にある情報はなんでもいいのだ。
現代において、いまや情報そのものはまったく稀少財ではない。世界中どこについても、写真や記録映像でたいていのことがわかる。にもかかわらず、わざわざ現地に行くのは、その「わかってしまった情報」に「感情的なタグ付け」をするため。旅は情報の問題ではない。
福島の観光地化
福島原発に話を戻そう。たしかに、福島県内の人ではなくても、2011年の3月に日本にいた人であれば誰でも、あの背筋の凍るような恐ろしさは覚えているだろう。しかし、例えば30年後、我々は「あの事故」をどう感じているだろうか。また、自分の子供にあの事故をどう教えているだろうか。「歴史に残る大惨事」はただの「情報」になっていないだろうか。
たとえ福島原発に関して全ての情報がインターネットに落ちているとしても、実際に足を運び、つまり自分の時間を拘束し、かつての出来事に思いを馳せる。これこそが、「頭」ではなく、人々の「心」に出来事をいつまでもとどめておく最良の方法なのだろう。
(参考)cakes 2013年6月7日
https://cakes.mu/posts/2124
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